投稿日:2007-01-04 Thu
U氏から離れた私はフリーライターとして、友達の紹介でマガジンハウス社の「自由時間」(今は廃刊になっている)などに原稿を書いていたのだが、さすがに食っていけなくなり、またも友達のツテを頼って、1994年6月に内外タイムスに入社した。私が配属されたのは、特集部という部署。実はこの部署、守備範囲の広い部署だった。
当時、内外タイムスの編集局には社会部と文化部、運動部、レース部があったのだが、特集部とは要するに、他の部署が扱わないモノすべてが担当なのだ。書評、新商品情報、プレゼントなど細かい仕事もあるが、大きな柱は風俗とレジャーの2つだった。
またしても風俗取材にかかわるようになった私は、気持ちを入れ替え、腰を据えてやろうと考えた。そして風俗嬢に対する偏見を持っていないことを示すため、私は必ずスーツにネクタイをして取材先に向かった。芸能人や政治家相手の時はスーツを着て取材していて、風俗嬢相手だと私服というのは自分の取材姿勢としておかしいと思ったからだ。
1999年の夏、SWASH(Sex Work and Sexual Health)SWASH(Sex Work and Sexual Health)というセックスワーカー(風俗嬢のこと)をサポートするグループの要友紀子さんが編集部を訪れ、「風俗嬢の意識調査をしたいので協力して欲しい」と申し入れてきた。取材のついでのちょっとしたアンケートなら問題ないが、彼女が考えている調査は約40項目にも及ぶモノで、しかもキチンと聞き取り調査をしたいということだった。
彼女が直接、風俗店に頼みに行けば、よほど理解のある経営者でない限り、門前払いを食らうハズだ。こういうアンケートは取材のついでだからこそ受けてもらえる。そこで私は同僚のY氏と相談して、協力することを引き受けた。
この時の調査は内外タイムスに「風俗ギャル意識調査」として掲載したし、その後、要さんの手によって、『風俗嬢意識調査 126人の職業意識』(ポット出版)という本にまとめられている。
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もちろん、風俗ばかりではなくレジャー記事もいろいろ書いた。宮崎にオープンしたばかりの「シーガイア」や、風水から見た沖縄の観光地、佐渡島などなど実際に現地に行って取材したりもした。
しかし2002年9月、経営者が代わり、新聞社の方針が変わったことで、仕事に面白さを感じなくなり退社してしまった。
退社したものの、次の就職先は決まっていなかった。すでに2000年に結婚して東村山に住んでいたのだが、まだ子供がいなかったし、妻が「つまらないなら我慢せずに辞めたら」と言ってくれたので、勢いで辞めてしまったのだ。しかし、辞めて良かったと今では思っている。
その頃は毎朝4時に起き、久米川駅から午前5時5分の西武新宿行きの始発(時刻は当時)に乗って、乗り換えをしながら約1時間かけて江東区の職場へ行き、夜は夜で毎日午後11時ごろに帰宅していた。今みたいに東村山市内の飲食店に行こうなんて気は全くしなかった。家はただ寝るだけの場所……当時の私はいわゆる“東村山区民”だった。
その当時の私にとって東村山という街は、生活の場ではなかったし、東村山のことなど何も知らなかった。
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