投稿日:2007-01-03 Wed
新入社員は研修を終えると、基本的に地方支局に配属される。私が配属されたのは、静岡県の浜松支局だった。支局長1人、支局員は私を含めて2人というたった3人の支局なのだが、取材担当範囲は御前崎から西側すべて。かなりの広範囲だ。
警察署に朝晩かける警戒電話も10カ所以上かけないといけないから、それだけで1時間なんてアッと言う間に過ぎてしまう。
朝6時に起きて、警戒電話をした後、浜松中央署の刑事担当部長が住む官舎へ行き、話しをしながら一緒に警察署へ行き、警察に行ったら行ったで各部署を回っていく。
事件だけでは紙面は埋まらないから、ネタを探して市役所や商工会議所に顔を出し、ネタを見つけては取材。そして夜遅く、知り合いの刑事の自宅に顔をだしてり、広報担当である副署長の家に行ったりして質問をぶつけたりする……いわゆる“夜討ち”というヤツだ。で、その結果を支局長に報告して1日が終わる。
家に帰ると午前1時、2時なんてザラだった。この生活を私は1年8カ月頑張ったが、それで限界だった。
当時の支局長はかなり厳しい人だった。厳しいだけなら問題ないのだが、時に理不尽な怒り方をするのが、私には我慢できなかったのだ。しかし、この時の支局長の教えは今、すごく役立っている。あまり認めたくはないが、やはりこの支局長と出会わないと、今の自分はないと思う。そういう意味では、感謝すべきなのかもしれない。
毎日新聞社を辞めた私は、編集アルバイト時代の友達・U氏に呼ばれて再び上京。U氏はこの時、広告代理店のような仕事をしており、夕刊デイリーから風俗ページを請け負って記事と広告をつくっていた。私がやらされたのは風俗取材で、この時が風俗とかかわった最初だった。
相手の話を聞き、写真を撮る……基本作業は新聞記者と何ら変わらない。だが、不思議と風俗嬢たちからは「どうしてそんなに聞くの?」と不思議がられた。要するにそれまでの風俗記者なり風俗ライターは、風俗取材だけをやってきた人間だったのだ。「キッチリ取材すれば、風俗記事でも読み応えのあるモノが書ける」と思った私は、力を入れて取材していった。
風俗嬢に対して偏見がすぐに消えたのは、ちゃんと話を聞いたからかもしれない。中にはいい加減な女性もいたけど、多くは真面目で、仕事に対してプロ意識を持っていた。これはキチンと伝えるべきだと思い始めた私だが、一方で「風俗記者になってしまうのもどうなんだろう?」という疑問もあり、結局、U氏の袂を離れてしまった。
ちなみにU氏は後にナイタイスポーツを辞めたK氏と組んで「東京MAN−ZOKUニュース」という風俗情報紙を創刊し、今や日本全国の風俗情報を網羅する風俗メディアを築き上げることになる。
△ PAGE UP


